業 火 キリコには今の状況がまったくもって納得できなかった。 目の前にはBJと、その「奥さん」だと言い張る幼女。しかも、自分の隣には、あれほどついてくるなと釘をさしておいたはずの(今日だって、ひどく慎重に身支度をすませて、こっそりと家を出てきたというのに) が、緊張感の無い顔つきで座っている。 「この野郎!なんでついてきたんだ!」 「うるさいなあ、自分だけ出掛けようなんてずるい。わたしも連れて行け」 「遊びに行くんじゃないんだ!帰れ!今すぐだ、バカ女!!」 「知ってる。キリコ、あんたBJに逢いに行くんだろ、わたしはそいつに逢った事が無い。だから、一度ぐらい逢いたい。BJとやらはあんたのライバルなんだろ?じゃあ、わたしにも少し、関係ある人物じゃないか。それにもうここまで来たら、歩きじゃ家に帰れないし、わたしは金を持ってないんだ」 問い詰めれば、済し崩された。畜生、この女はいつもこれだ。何か言うと、自分に都合のいいようなことばかりを貼りつけて、何倍にもして返してくる。もういい加減パターンにも慣れつつあるはずなのだ。しかしとんぼを捕まえる子供のように、目の前に細い指を突きつけられて一気にまくしたてられると、ぐうの音も出なくなる。畜生、畜生、こんな小娘に! 結局連れてくるしか選択肢は残されていなかった。 BJの方も、当初予定のなかった幼女を隣に座らせている。(同じ苦労を背負っているのだろうか) キリコは本来、この間BJが例の如く「仕事中」に、奪った患者の経過を聞く為に赴いたのだ。とは言っても、BJがキリコから患者を奪うのは毎度のことだから、いつもはあえてこんな風に逢ったりはしない。本当に、たまたま、気紛れ、なのだ。ただ今回の患者は、安楽死専門医の死神医師でさえも、正直あまり気が進まない患者の部類に入った。とりあえず、BJが奪ったとき、手術にも立ち会ったから、一応、その後どうか、という簡単なやりとりをして、早々立ち去るつもりでいた。 ――――そのはずだった。 書類は受け取ったのだから、もうここに用はないはずなのに、何故か席を立つタイミングが見当たらない。BJの隣の幼女はじいっと を見詰め続けて微動だにしないし、は で、何を話すでもなくただ、口元に薄く笑みを浮かべながら周囲をきょろきょろしているだけ。はっきり言って居心地が悪すぎる。 「やっぱし、ついてきてせいかいだったのよさ」 「…何がだいお嬢ちゃん?」 「先生ったら、『こよし屋のできそこないのおじちゃん』とあうだけらってゆったのに、こんなかわいいしとがいっしょなんらもん!あんただれよのさー!」 「こら、やめないかピノコ。失礼だろう!」 さっきまで大きな瞳で、穴があくんじゃないかというぐらい を見ていたピノコは、テーブルの上に上がらんばかりの勢いでに詰め寄った。幼女のわりに、相当マセている。しかし、その点では死神の連れも負けてはいないかった。口端をすいっと上げ、ぼそりと呟く。 「わたしは君の先生を寝取るつもりはこれっぽっちもないけどなあ…」 「ブッ!(キリコとBJが吹き出した)」 「ピノコが先生のおくたんなんらから、つばつけちゃめーなのよ!」 「ピノコ、お前少しは大人しくしろっ!」 溜まりかねたBJが、ピノコの口をふさいだ。すると堪えきれなくなったのか、喉を見せてのけぞりながら は笑い出した。 「あっははは!キリコの話とはすごい違いがあるんですねー、BJ先生って」 「その、ずっと聞きたかったんだが、君は、その」 「あ、ごめんなさい、名乗ってなかった。わたしは 。キリコの」 そこで切って、ちらりと横目でキリコを見た。眉間に寄ったしわと、じろりと睨む眼が「余計な事を言うなよ」ときつく物語っている。 「まあ、いわゆるコレです、コレね」 しかしキリコの意思とは逆のことを彼女はさらりと言ってのけた。ご丁寧に、小指まで立てて。みるみるうちに隣の男の顔が変わる。赤くなったり青くなったり、そしてそれが混ざり合って、すごく形容しがたい色が、彼の端正な顔を支配してゆく。全身がわなわなと震えるキリコを見て、 はまた口端を少しだけ上げた。今、火をつけたのだ、彼に。キリコは常に灯油をぶちまけてある布みたいなものだから、ちいさな、本当にちいさな火種だけで一気に怒り心頭する。業火になる。震えるキリコをよそに、 は心底楽しそうに見えた。 「このバカ娘!!BJ信じるな、忘れろ!」 「やだよう、おじさんは。小娘の冗談にムキになっちゃってまあ」 「この野郎!今度という今度は許さんからな!1週間、いや、この際だ、もう一生立てなくしてやる!覚悟しておけ!」 「やってみろっての!いざってときに意気地なしのクセしてでかい口叩くんじゃねー!聞いてくださいよ、先生、この前なんか」 「言うな!言ったら本気で犯す。大人をなめるなよ、このガキ!」 「上等、表出ようじゃないの」 「後悔しても知らんぞ!」 火のついた2人は止められても、止まらない。いつのまにか蚊帳の外になってしまったBJとピノコは、今まで見たこともない光景にただ驚愕するしかなかった。あの、死神の化身と呼ばれた男が、10代の小娘相手に本気で怒っていた。しかもコレ?コレってなんだ!自分も確かに幼女を連れている身ではあるが、ピノコは娘みたいな存在で、コレではない。(本人は奥さんだと言い張るけど) 「…これは夢か何かか」 だとしたらとんでもない悪夢だ。いや、待てよ、案外一概に悪夢とは言い切れないかもしれない。あのドクター・キリコの意外な一面ってやつだ。寧ろいつも死人のような顔をしていた奴が、あんなに活き活きとして、自分の感情をあらわにしているのだ。そうだ、悪夢などと目を瞑って、このまま朝が来るのを待つのでは勿体ないではないか。 「おい、キリコ!勘定は私がしておいてやる」 彼女によって既に店の入り口まで引き摺られたキリコに、伝表をひらひらと泳がせる。借りが出来た、とか何とか聞こえたような気がしたが、実は私が、こんなものは借しの内に入らないと思っていることは秘密。今日は嫌な日になりそうだと思っていたのが、結構悪くなかったな、とBJは立ちあがってコートの裾をほろった。 「先生、けっきょく、あのこだれだったよのわさ」 「まあ、間違っても私の浮気相手じゃないさ。お前も見ただろう?あの2人を」 「よくわかんやいけど、先生のおくたんはピノコなんらからね」 「はいはい」 --- その頃。 「全くお前を連れていったおかげで、とんだ時間の無駄遣いをした!今すぐ利子付きで返しやがれ!」 「バッカじゃないの!てゆうか、BJ先生っていい男だね!若いし!(なんでか幼女連れてるけど)また逢いたいなあー」 「(少しショック)そんなに若い男がいいなら今すぐBJに乗りかえればいいだろう」 「…あらら。お前はほんとにバカだなあ、かわいそうに。死んでも治らない」 「どういう意味だ」 「あんたにはわたしが必要だし、わたしにはあんたが不可欠。あんた、わたしがいなくなったらひとりぼっちじゃん。わたしも同じ。ね?そんなことも知らないのか、愚かな中年め!(にんまりと満足そうに笑ってキリコの髪に口付ける)」 「…(むむむ)(ぐうの音も出ないキリコ)」 ---- ドリームの世界を完璧になめきった処女作。 |