私はたった3秒の握手でいままでのすべてにさようならを、するんだ。
私の髪をくしゃくしゃっと撫でて、「また。」と笑うルーピン先生が、ひどく奇妙な笑顔(痛々しい顔を隠しているみたいな困った笑顔)だったのは、私が、ハリー達が涙を流しているときに、ハグを交わしているときに、手紙を書くよと話しているときに、ひとり場違いに、自分を憎しみの目で見つめていることに気がついていたからだと思う。私はひとり、輪から離れてルーピンを見ながら、その屈んだ膝を蹴り飛ばして、転がったところに頭を殴りつけて、その鳶色の髪の毛を毟り取って、お前なんか大嫌いだと、言ってやりたいと思っていた。 もうすぐこの列車で、ルーピンはホグワーツを去ってゆく。きっともう2度と逢うことはできないだろう。数年後、数十年後に万分の一の確率で出会えたとしても、それは今の私と彼ではない。 もうすぐこの列車で、ルーピンはホグワーツを去ってゆく。それは、無力な(こどもの)自分にはどうする事も出来ない。それが不甲斐なくて、はがゆい。けれどもそんなことよりも一番許せないままなのは、何もかもをそのまま受けとめてここから消えて行こうとする彼自身だ。抵抗を知らない彼が憎かった。すべてを「仕方が無い」で片付けてしまうところが、しゃくに障って、いらいらした。だけど抵抗しないわけも知っている。人狼のことも、危険性も、たやすく「ここにいてよ」と言えないことも知ってる。だから容易に彼を責められなくて、私はひたすら自分勝手にいらいらを募らせ、やり場のないこの気持ちをいつまでも持て余して、可愛げのない暗くて鋭い眼で彼の見送りに立っている。
汽笛が鳴る。 もうすぐこの列車で、ルーピンがホグワーツを去っていく。きっと私は、この日の意地を数年後に思い出すとき、後悔するのかもしれない。別れは笑って済ますべきだと、よく言うのは、想い出に変えたとき、きれいなままで保管できるようにするためのものなんじゃないだろうか。若く、浅はかで、痛ましい自分を思い出して恥ずかしい思いをしないように。相手の思い出の中でも、つねに美しく登場できるように。だからきっと私は、彼の思い出の中には最低の形で出てくるのかもしれないけど、ごめんなさい、そこまで私は意識が回らないんです。そのことよりも、今現在感じているリアルな感情のほうが大きくて、心のスペースを限りなく正確に奪っていくんです。さようならをするには遅過ぎて、早過ぎる。私は今、13歳。その事実だけが私のすべてで、それ以上もそれ以下も無い。これからのことはなにも知らない。 車輪がゴトリ、とゆれる。 もうすぐこの列車が走り出して、目の前の大人は思い出になる。
さようなら、リーマス・J・ルーピン。 13歳のときに出会った、やさしくてずるい卑怯な私の先生。
ノスタルジア
20050410
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