真に理解し合える者同士なんて、多分、世の中には存在しないのだ。

 「どれだけ長い時間を、同じ時を、共にそばで過ごしたとしても、脳噛ネウロと解り合う日はないのよ。」
そしてまたは我が輩の前で泣くのだ。漠然と諦めにも似たことを思い、この日も悔しくて泣いたわたし。ヤコ以上に。そんなわたしに、「泣くことしか出来ないのか。」とネウロは告げる。しかしヤコよりも小さく。足を組んで、踏ん反り返って。の決して大きくはない両目から流れ落ちる水分。その態度がわたしをいっそうみじめにさせる。
 「ただ泣かれているだけなら、我が輩の邪魔にしかならん。慰めなどせんぞ。」出て行けと言わんばかりにわたしの荷物を投げて寄越す。
これはきっと我が輩が原因で流れているのだろう。ああ、ネウロはきっと、いいえ、当然のように気が付いてはいないのね。そこまでは理解している。なぜわたしが泣くのかも、なぜわたしが悲しむのかも。だが、なにがいけなかったのだろうかが、わからない。デリカシーの無い男の一言は、女ひとりを悲しみに突き落とすには充分すぎる。ましてやどうでもいい対象からの言葉ならまだしも、少なからず好意を寄せている者からのものは、突き刺さるように痛い。そんな簡単で単純なことさえも、ネウロはいつまでも気が付かない。苛め虐げて奴隷のように扱うことは、魔界ではではなかった。ネウロ、あなたは直せないのね、直らないんじゃなくて。

 わたしがネウロに、彼にきちんと思いを隠さずに、正直に、すべて包み隠さず言えれば問題はないの? ヤコは「少しに優しくしてあげて」と言った。 これはわたしの責任? 優しくとはどういうことだ? わたしの選択ミス? お前がよく読んでいるような漫画に出てくるような台詞を言えばいいのか? わたしが素直にさえなればいいの? 「あいしている」とはどういうことだ?

さようならネウロ、わたしは疲れたわ。
我が輩は正直これからも人間の心が理解できるようになれるとは思えないのだ。あなたにどれだけの譲歩をしたかもうわからない。身体がどれだけ人間に近しくなろうとも、さよならネウロ。我が輩の心は魔人として生まれ、わかっているのはわたしとあなたが解り合う日はもう二度と来ないのでしょうということよ。魔人として育ち、あなたが人間ではない限り。魔人として生きてきたこれまでの集大成のようなものだ。あなたが、心ある者の心理を読み取れない限り、それをいとも簡単に変えられてしまうほど、わたしは戻らない。魔人とて有能ではない。戻らなくても構わないでしょ。あなたはきっと絶対に追ってこないから。よ、わたしが使い物にならなければ、新しい人材を見つければいいことだから。だから出て行くの、さようなら、さようなら脳噛ネウロ。我が輩を困らせる、謎を喰って生きる生き物、わがままで魔界の生き物、迷惑な女、人間ではないもの、我が輩とは違う生き物、わたしとは違う生き物、二度と会うまい。ちがう種族、ちがうこと、ちがうもの。さよならだ、決して相容れなかったわたしたちの終わり方。貴様が終わりというのなら、この話は終わりだ。

 

Intercultural Communication