わ る ぐ ち


「おまえなんか嫌いだ」

数センチ先にある彼の唇を前にして、わたしは悪態をつく。
でもこれには理由がある。

「中年すけべじじい、ロリコン」

ごつごつした手のひらが生肌を撫でる度に繰り返す。
でもこれにも理由がある。

ちょっと黙れとキリコに大きな手で口を塞がれてしまった。
ぼんやりと彼の眉間にしわがよっているのが見える。
少し嬉しい。
彼の手越しにふふふ、と笑う。
この気持ちにも理由がある。

「お前は少しムードというものを学べ」

くぐもった声と振動を感じたキリコが、さっきよりしわを深くしてわたしの顔を覗きこむ。
あ、今すこし怒っている。
わかる。

声が出せないため、少し足を持ち上げて白いシーツを蹴る。
堅めの布はしゅるしゅると音を立てた。
ムードなんて、今更だと目を細める。
でも、キリコがその歳で、まだそんなものにこだわっているのかと思うと笑いがこぼれた。

変わらないわたしの態度に、彼が行為を再開する。
手がするすると這う。
ひどくやさしい。
いつもはこの手でわたしをためらいなく殴るのに。(でも大抵わたしが先に手を出すから悪いのかもしれない)

わたしは、
どこでも、いつでも変わらない態度でキリコに接するけれど、彼はちょっと違う。
こいつは気持ちが悪いくらい優しくなる。
自分では気がついているのだろうか。
怖いぐらい、いつものキリコじゃなくなってゆく。

いつもは決して言わない「愛している」をこういうときだけ数回呟く。


「…何か考えているだろう、別の事を」

ムッとした表情でまた私の顔を覗きこむ。
頬に銀色の髪の毛が触れる。
軽く握って引っ張る。

暗い部屋でもちゃんと見えた、痛そうな顔。
かわいいと呟いてまた笑った。
彼の顔がすこし赤い。
かわいい。


わたしは決して彼に好きだと言わない。
からかって遊ぶときには使っても、絶対に愛しているなんて言わない。
心底惚れていることを、自分の口から告げてしまったら、きっとその瞬間からは彼しか見えなくなってしまうだろう。

彼にすべてを持っていかれる。
盲目になってしまう。

自分はあんな中年の男にべた惚れで、ひどく夢中になっているなんて。
告げたときのキリコの顔を想像するだけで、悔しいのと恥ずかしい気持ちがぐるぐるとめぐり、混ざり、勇気が消える。

「…あんたなんか嫌いだ」

そうしてわたしはまた悪態をつく。
先とは違うニュアンスで。
今自分はどんな顔をしているんだろう。
キリコが少し口端を上げた。

もしかしたら、わたしの微かな抵抗心は、彼にはもう知られているのかもしれない

「大嫌いだ」

折り曲げた両足の間に割り入るキリコの眼を見据えて、はっきりと告げる。
また、黙れと口を塞がれた。
ひんやりと冷たい手が太腿に滑り込む。

たぶん、そろそろ彼はわたしに、愛していると唇を寄せるだろう。


それでも
わたしは悪口しか言ってあげない。



わ る ぐ ち