たとえばミストフェリーズなら、きっぱりと答えを返してくれるだろう。彼の物言いは少なからず足りないところがあるし、厳しいことが多いからちょっとは傷付くかもしれないけど、正直にうそを言わない誠実さが根底にあるからまだマシなはずだ。たとえばマンゴジェリーなら、心から申し訳なさそうな、気まずそうな顔をして、それでも素直に言ってくれるだろう。その後慌てながらどうしてか物をくれたり、新しい缶詰を開けてくれたり、なにかしらマトはずれなことはするだろうけど、それでもそれが彼の優しいところだから理解できる。そしてたとえばランパスキャットなら、外国映画さながらのシチュエーションで、こっちをろくに見もせずに「君には俺より相応しい男がいるんじゃないか」なんて、芝居じみた台詞を言うだろう。だけど彼が言うとそれはとても鮮やかで、渋みがあって、俗っぽくない。映画より映画らしい場面になるはず。それはへたをすれば受け入れられるよりロマンチックであり、女は喜ぶかもしれない。
こうしたように、それぞれによって異なるのがシチュエーションというもので、これらは状況に程よく味をつけるスパイシズムだ。じゃあ、じゃあ、それならば、彼は、彼はどうだろう。潔くスッパリと言ってくれるだろうか。逃げるだろうか。それとも、オドオドしてたじろいでグダグダになるだろうか。
やさしい彼はいったいどうしてくれるだろうか。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「あ、あの、
」 「はい」 「………ド、ドッキリ、か、これは」 「(し、失礼な!)」
昼食の準備中、彼の家のキッチンで、煮立つ鍋を前にしてわたしが言ったことを理解するのに、彼は5秒ほど時間を要したみたいだ。それからたっぷり5秒後、マンカストラップは一時停止状態から再生ボタンを押されたビデオのように、間髪入れず思い切り驚愕の声をあげた。(そしてその際、持っていた皿を床に落として空気も、皿も派手にぶち壊した。)
「あーあーなにやってんのバカ…」 「す、すまん。ちょっと驚いて…!(皿を雑に片付ける)」 「(ていうか、そもそも人の告白に対してド、ドッキリって普通言うか?)」
生煮えの野菜をみつめながら不必要におたまを働かせて、わたしは耳の奥に粉々になった破片が突き刺さるみたいな気分になっていた。彼は驚いたというか、なんか、なんだろう、毛並みが逆立って、わけのわからない顔をして突っ立っている。そんなにびっくりしなくても。驚かれるだろうな、とは覚悟していたことだが、実際こんな微妙な反応をされると、逆にこっちがみじめになってくる。(そもそもこれは勝算のない愛の告白だから、そのダメージはよりすさまじい。)
彼は彼で、何を喋っていいのか、さっぱりわからない、というような様子だった。やっぱり、と
は落胆にも似たため息をついて、強火から中火にスイッチを切り替えると、なるべく自分と視線を合わせないようにしている彼をもう一度見た。 いい年の成人男性が、小娘から好きだと言われて戸惑っている状況は、たぶん、ジェミマあたりに言わせると所謂「モエ」という高揚の範囲なのかもしれないけど、それは想像の世界だからかわいらしくジタバタできるものであって、実際こう目の当たりにすると、不健康すぎて、ちょっとばかり気味が悪い。スパンと断るなら断って欲しいのに、彼は一向にその気配がなく、言葉にもなっていない「ああ」とか「その」などという単語をやたらに繰り返すばかりだ。正直なところ、この態度には非常に落胆した。そしてなんだか初老の童貞でも見ているようななんとも形容しがたい、ゾワワワ、と背筋にくるような気分になった。(いやそれは自分の発言のせいで戸惑わせてるわけだからそんな風に思うのはどうかとおもうんだけど!)
「
のことは……」 「(え!別に返事とかいいのに!さてはこいつ考えてやがったな)」 「……」 「……」 「……すごく、いい子だな、とは思う」
しばらく無意味にザーザーと水を流したり、わけもなく
から遠ざかって冷蔵庫をバタンバタン開けたり閉めたり、不可思議な行動を繰り返していた初老の童貞と同レベ…基い、マンカストラップがふいに口を開いて出てきたのはそんな稚拙な言葉で、
は更にうなだれるほど落胆せざるを得なくなってしまった。しょんぼりだ。
「(なんだそれ……)」 「え、
?」 「…そんな惨めになるような返事なら、わざわざ言わなくていい…(はあ)」 「え!(そんな!)」
大体、彼が自分を嫌っていないことは最初からわかってる。
だけではなく、彼は仲間のことを平等に愛していることは周知の事実だ。そうじゃなかったら、休日にわざわざ人を呼び出してトマトの湯剥きなんて共同作業させるわけがないし、セロリ(自分が齧ったやつ)に躊躇いなくマヨネーズ塗って「食えよ」なんて寄越したりしないし、最愛のシラバブの子守りを手伝わせたりしない。いや、これは、信頼度にもよるのかもしれない。ラムタムタガーは殆どシラバブに近寄らせてもらっていないし。まあ、この話はいいとして、少なくとも
はそれなりに彼に好かれてはいることを、自覚していた。ただそれはlikeだということも、充分に熟知している。
はため息をつくとぐるりと後ろを振り返り、いまだ戸惑いの色が消えない、自分よりずっと高い位置にある二つの眼球を見据えた。
「別に付き合ってくれとか、結婚してとか言ってないじゃん…」 「い、いやしかしだな、」 「告白されたから、返事しなきゃとか、思ってるでしょ…」 「う…っ、」 「…あのね、返事なんか最初からノーだって知ってるよ」 「え!?」 「だって、」
言いかけて一瞬唇を噛んだ。
「だって、」
・ ・ ・
「ディミータが、いる、から」 「え!?」 「だから、何も言わなくていいよ…って」
ほら、これだから、これは勝算がない愛の告白だと、最初に言ったんだ。フラれる事がわかりきった、結末の見えた報われもしない物語だったんだ。つまりは、彼にはもう私なんか絶対に敵わないほど美しい恋人がいるんだから、勝算なんか、はじめからあるわけがないんだよ。ばかばかしい。鍋底に沈んだ煮崩れそうなじゃがいもをおたまの底で思いきり潰しながら、
はチッと舌打ちをする。 マンカスはエプロンの左端を気まずそうに握り締めると、ク、と短く息を吐いて、目の前の赤いスープ、そうだ、まるで、彼女の髪のように、赤くきらめき、少しオレンジがかった液体に視線を落とした。
は歯軋りを堪えて手を止める。揺れていたスープがおたまの柄にぶつかって、コンロ脇に散った。
「この前の舞踏会でわかったの」 「…」 「マキャヴィティが現れたとき、マンカスが一番先に心配したのは彼女のことだった」 「…!、違う!」 「ううん、わたしは見ていた。知っている。真っ先にディミータのところに行ったよ」 「…それは…」 「その後、一番先にあなたに駆け寄ったのも、彼女だった」 「…」 「そうだったよ」 「…」
キッチンに充満する空気をすう、と吸い込んで、
はわざとらしく自覚アリで笑った。
「わたしね、わかっちゃったんだ」 「…」 「ディミータなんだよね」 「…」 「マンカスが好きなのは彼女なんだ」 「…」 「わたしじゃないんだ、ディミータでしかないんだ」
光景を思い出せば思い出すほど、
の心は硬く凝結していき、煮詰まりかかったスープはツンと香ばしく鼻腔を刺激する。カッサンドラとタンブルブルータスのように、表立っていちゃつかれればまだ諦めも冷めるのも早かったはずだと思った。あの日マキャヴィティが去った後、お互いを労わるように、それでいて何か他とは違う雰囲気をかもしだす二人を見たとき、
の中で何かが崩れ落ちて、そこは真っ白に焼かれていった。そうして、水面下ではそんな事情が進んでいるとは何も知らずに、友達と一緒になってキャアキャアと好きな人の話題で盛りあがっていたあの痛々しい処女を、途端に殺してやりたくなったのだ。
「わたしじゃだめなんだ」 「…、」 「そうでしょう、ほら、だめだって言ってよ。お前じゃない、お前じゃだめだって」 「…すまない…」 「そればっかりじゃわからない」 「…」 「…」 「…」 「……どうせなるべく傷付けないような成績のいい台詞探してるんでしょ」 「!」 「やっぱり」
そんなことだろうと思った。やっぱりマンカスは生易しい。ミストフェリーズの簡潔という優しさとも、マンゴジェリーの屈託の無い優しさとも、ランパスキャットの隠れ潜む優しさとも違う。彼はただただ、ひたすらに生易しい男だ。自分が傷付くことは構わないくせに、他人を傷付かせることを恐れている生温い男だ。こういうのは自覚がないからとても救いようが無い。
「…、わかってくれ
、俺は!」 「そうやっていつも生易しいから、勘違いする時間が増えるんだよ!」
ガスコンロの火を乱暴に消すと、
はその場にしゃがみこんで声を荒げた。これ以上惨めにはなりたくないと自分で言っておきながら、墓穴を掘って追い込めて行く自分は、他人からしてみればすごく頭の悪い女にみえるんだろうか。 きっと、世の中のごく一般的な恋する女というものは、大抵、この出来たてのミネストローネのように沢山の具(それはつまり、夢や希望)を抱え込み、じっくりと煮込まれて、ときめきやドキドキという謎のスパイスで日々香ばしさを増して、食べると火傷しそうなほど熱くてほんのり甘酸っぱいはずだし、そんな赤いスープならば、たとえ相手に好きな人がいようが恋人がいようが、彼をなんとかして自分に振り向かせようとか、愛してもらおうとか、そういうことを考えるだろう。ていうか、それが恋の王道であり、スタンダードスタイルなんだけど、だけど、わたしにはそれが出来ない。振り向かせようなんて大それたことはわたしの世界では言えないし、ありえないことだ。わたしとディミータではあまりにも違いすぎるし、優劣の比較対象で「ハーイこれがサンプルですよー」と紹介されてもしょうがないほど、わたしは彼女に敵わない。もちろん優はディミータで、劣はこのわたしだ。ジェミマなんかは耳を伏せながら、そんなことないよ、と言ったりしてくれるけど、自分のことは自分がよくわかっている。わたしは、ミネストローネなんかじゃないんだ。ガスコンロの隅においやられた小鍋の中にこびりつく、冷めきったコーンスープだ。薄い膜を張り小さくゆらめきながら、捨てられるのを待ち望んでいる黄色いスープなんだ。
「あなたが好きだった」 「…」 「マンカスがディミータを愛してるよりもそれよりもずっとずっと好きだった」 「…」 「好きだった」 「…」 「大好きだったよ」
価値の無い存在ではないけど、彼女が100だとしたらわたしは21ぐらいだ。彼女のように美しくもないし、強さもない。女は直感で、この人にだけは敵わないと悟るときがあるんだ。わたしは彼女には敵わない。わたしは彼女には敵わない。だから些細なことで「彼も自分をすきかもしれない」なんて一瞬でも考えていた愚かな自分とは決裂したいんだ。早く死にたいんだ。マンカスとディミータが100年幸せでいられることを望むようになりたい。わたしではだめだとわかりきっているから、略奪しようなんて恐れ多いことは思えないし、できないもしない、そもそもそんなことしたって彼の心はわたしには一生傾かないんだから、無駄というものだ。無駄なんだ。わたしが彼をどれだけ愛してもすべては無駄なんだ。
こんなに心が冷え切っているのに、「好き」という台詞を繰り返すのをやめられないわたしは、もしかしたら一番愚かなのかもしれない。それがどれだけお互いを苦しめるものでしかないとわかっていても、わたしは泣きながら言い続けた。お願いだから、早く突き放してほしい。そう何度も懇願したけど、マンカスは何も言わなかった。結局、ミネストローネに油膜が浮き上がるまで、彼は無言のままだった。
end. (黙殺される処女 /
2004.10.08)
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